コンパクトながら子供達が走り廻れる楽しい家ができました!
【浜松市S様邸】
家を建てるということは就職や結婚と並んで大きなイベントであると、様々なところで書かれたり、言われています。私たちにとっても、結婚し子供が生まれ成長していくに従って、住んでいる賃貸マンションが手狭になり、家を建てる という事を真剣に考える時が来ました。
一番初めに考えた事は、今後も私たち夫婦が仕事を続けながら、まだ幼い子供2人を育て、楽しく暮らしていく事。その為にはどうしていったらよいのかと検討していく中で、私の実家を建て直し、両親と暮らすという事を決めました。
次に一般的なハウスメーカーではなく、設計事務所に依頼し、大工さんに建ててもらおうという事。
上記2つはすんなりと決定し、すぐにでも家が建ってしまうのではないか、と思ったのもこの頃です。
図面を引いてもらう為に実際に、2世帯住宅を建てるにあたっての希望を出していきました。
“木造で、地元の天竜材を使い、親世帯、子世帯が完全に独立しながらも、同じ家に暮らしているのだから、なんとなく気配がわかるような家。
そして、収納が多く、外から戻った時、必ずリビングを通るようにした子供部屋、私には小さくてもよいから書斎、更に屋根裏収納も作ってもらおう、日当たりも気になるな・・”
など、希望は次から次へと出てきました。
それに対して設計士さんは、私達の希望を丁寧に聞いてくださり、私たちの希望に対して、的確な答えと様々なアイデアを出してくれました。
その中でも、廊下部分の両側を造付の棚にする事で、それぞれ個人の物を収納するというアイデアには、野球選手のロッカールームの雰囲気ではないか、と気分が盛り上がり、自宅への建設に期待が膨らみました。
私達の思いは、設計士さんの努力により、設計図として、形となりました。可能な限り、希望に沿う形となっていた為、容積率は80%の上限に対して79.86%となっていて、驚いた事が印象に残っています。
綿密な打ち合わせを行っていた為、文句のつけようがないくらい、素敵な間取りで出来上がっていたのですが、一つだけ問題が・・。
両親から、家の間取りを神主さんに見てもらうと、水廻りと玄関の位置を変えたほうが良いと言われたとの事。家相は気にしなければ、気にならないものですが、両親と私は気にしてしまうので、設計の手直しをお願いすることに。
すると、大幅な手直しをする事なく、新たな図面が完成。
一箇所のみ消えてしまった箇所がありましたが、代替案もあったので、設計図は完成しました。消えてしまったもの、それは私の書斎です。独立した部屋から廊下の一部分に変更となったものの、スペースは確保されており、大した問題ではありませんでした。
しかし大きな問題となったもの、それは予算です。設計図に沿った家を建てられればよいのですが、当初予算を大幅に超えてしまっており、改めて計画の見直しをお願いする事となってしまいました。結果的に屋根裏収納を取り止める事となったものの、それだけでは、予算内に収まりません。
そんな中、設計士さんから、「通常は大工さんを複数でお願いするものだけれども、今回一人にお願いしてみようと思います。」との提案が。
「手間賃が減るので、費用を抑える事ができます」との提案に一も二もなく賛同。しかし、一人で家を建てるのは大変なので、ご家族で家づくりに参加していただく必要がありますとの事。
こうして、私たちの家づくりは始まりました。
まずは、土台となる木材に防虫剤としての備長炭塗料塗り、そして、構造材に自然オイル塗り、家族総出で塗りました。
続いて、建築現場のお手伝い。仕事がある私たち夫婦の代わりに、定年退職し自宅に居た父が毎日、現場へ足を運びました。ついでに、当時3歳の娘も「げんば」と言ってお手伝い。普通のサラリーマンだった父が、木の種類や家の構造に詳しくなっていったのが可笑しかったし、頼もしかったです。娘も家の出来上がる過程を楽しみにしていて、毎日行きたがっていました。
こうして完成した我が家。建ぺい率や容積率の関係で制約はあったものの、各部屋を繋ぐ廊下が回遊式になっていてコンパクトながら子供達が走り廻れる楽しい間取りとなっています。
毎日、我が家の子供達は下のおじいちゃん家に遊びにいったり、上の我が家に帰ってきたりと満喫。下に住む両親は「楽しいけれど、孫の面倒をみるのは大変」と、笑顔で言っています。
私たち夫婦の間では、建てる前、建てている時、建てた後と1回で3回楽しい家だねと話しています。
本当に我が家を建てるという事は大きなイベントとなった、今回。でも、本当は私達だけではなく、設計士さんや大工さん、その他の工事関係者の方のおかげであるという事も充分理解しています。
本当にありがとうございました。楽しい家ができました。